2024.03.22 12:02
春のお彼岸に
今年の春分の日は荒天でしたが、
きょう(3/22)は少し春らしい日和となりました。
ふと、お彼岸のタイトルで私的な話題を書きたくなり、
これまた久々の “美意識” カテゴリを開いてみることにします。
(私なりの『美的価値観』についてのカテゴリです)
このカテゴリの前項では、
“キモノ沼”からの“卒業”について述べたのですが、
今月は まさに卒業の季節、
卒業式の朝、私に袴を着付けてくれた母の句が 思い浮かぶのです。

日舞と書道と俳句が趣味だった母自身も気に入っていた、何かの入選句でした。
卒業子(そつぎょうし)とは 俳句の言葉で、
卒業する学童・学生・修学者のこと。
その朝、扉を開けて明るい春の光の中へ出ていく私を見送る母の、
晴れがましい気持ちと、ようやく少しだけホッとするような気持ちが、
今なら私にも分かります。
母も私も それぞれに変わり者で、ぶつかることも多かったのですが、
いつのまにか母から刷り込まれた『美的価値観』は私に深く根付いていて、
『育ち(育ち方)』 というものは なんと重々しいのだろう、と思い知らされます。
・・・本日の余談・・・(-。-) .:*・°
不思議な事ですが、
実は、夫の母も、私の母と価値観がソックリなのでした。
私が「母はこんなふうに言っていた」と言えば、
夫も「母も同じことを言っていたよ」と言い合うことがしばしばあるのです。
私たちの婚約式の時に母たちは、選びに選んだはずの洒落た草履を着用してきたのですが、
その草履が全く同じものだった、というところから始まっています。
昨夜も、
私たちはちょっとした話題で共通項を見つけて、
前世は姉妹だったんじゃないの? と笑いあったことでした。
お陰様で、
姑(今風に言うなら義母)にはたいへんに優しくしていただいて幸せでしたし、
人生の筋書きは最初から出来ているのではなかろうか、と思うにつけても、
「お陰様で」を忘れてはならない、と気づかされます。
カテゴリ【衣裳部屋の美意識】
きょう(3/22)は少し春らしい日和となりました。
ふと、お彼岸のタイトルで私的な話題を書きたくなり、
これまた久々の “美意識” カテゴリを開いてみることにします。
(私なりの『美的価値観』についてのカテゴリです)
このカテゴリの前項では、
“キモノ沼”からの“卒業”について述べたのですが、
今月は まさに卒業の季節、
卒業式の朝、私に袴を着付けてくれた母の句が 思い浮かぶのです。

日舞と書道と俳句が趣味だった母自身も気に入っていた、何かの入選句でした。
卒業子(そつぎょうし)とは 俳句の言葉で、
卒業する学童・学生・修学者のこと。
その朝、扉を開けて明るい春の光の中へ出ていく私を見送る母の、
晴れがましい気持ちと、ようやく少しだけホッとするような気持ちが、
今なら私にも分かります。
母も私も それぞれに変わり者で、ぶつかることも多かったのですが、
いつのまにか母から刷り込まれた『美的価値観』は私に深く根付いていて、
『育ち(育ち方)』 というものは なんと重々しいのだろう、と思い知らされます。
・・・本日の余談・・・(-。-) .:*・°
不思議な事ですが、
実は、夫の母も、私の母と価値観がソックリなのでした。
私が「母はこんなふうに言っていた」と言えば、
夫も「母も同じことを言っていたよ」と言い合うことがしばしばあるのです。
私たちの婚約式の時に母たちは、選びに選んだはずの洒落た草履を着用してきたのですが、
その草履が全く同じものだった、というところから始まっています。
昨夜も、
私たちはちょっとした話題で共通項を見つけて、
前世は姉妹だったんじゃないの? と笑いあったことでした。
お陰様で、
姑(今風に言うなら義母)にはたいへんに優しくしていただいて幸せでしたし、
人生の筋書きは最初から出来ているのではなかろうか、と思うにつけても、
「お陰様で」を忘れてはならない、と気づかされます。
カテゴリ【衣裳部屋の美意識】
2023.10.30 17:29
嗚呼、たとう紙の山
これまた久しぶりの カテゴリ【衣裳部屋の美意識】 ですが、
実は、珍しく本当に “衣裳部屋” の話題なのです。
久々なので、このカテゴリについて注釈をつけておくと、
私にとっては、『衣裳』をハンガーにかけて並べているのが衣裳部屋なのではなく、
私なりの『美的価値観』を、
選りすぐって大切に仕舞っておくのが、『私の衣裳部屋』という意味です。
なお、“衣装” ではなく “衣裳” と書いているのも私なりの小さななコダワリです。
では、その たとう紙の山、これでも一部なのですが……。

もしかしたら、既に、
何が起こったかをお察しの方もいらっしゃるでしょう。
お着物好きの女性たちでしたら、ね。
念のために書き添えておきますが、
たとう紙(たとうし・たとうがみ)とは、畳紙と書くこともありまして、
着物を収納する専用の包み紙です。
質の良いものの多くは和紙ですから、
防シワ・防チリ・防カビ の役目を果たしてくれて、
買い替える際には結構なお値段になります。
それを 山積みにしているのは、
そうです、ふざけた言い方をして自嘲してしまうと、
“着物大処分市” でございました。
誂えてもらった着物の他に、母から譲り受けた大量の着物があり、
丸洗いクリーニングだけでなく、
自分のサイズに合わせて“裄だし(ゆきだし)”もしましたから、
手間も費用も掛けてあったのです。
ですから、
ここに至るまでには、気分は堂々巡りでしたね。
:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:
そして、結果。
◆ 肩の荷が下りたようなスッキリ感
合計して和箪笥二棹(ふたさお)分の着物には、
もちろん、母の愛も込められていたのでしょうが、
私には、
もっと別の、
母から受け継いだ持病(同じ年齢で発症)の事情もありますのでね、
なんだか、諸々の 呪縛のようなものを感じていたのです。
そして、
あと数年で、もう一つの病気が出てくるシナリオができているのではないか、
そう思えてしまうから、呪縛のようなもの、と言ったのです。
処分するまでの和箪笥の整理には2日間かかり、
処分当日の たとう紙の片付けと清掃にも数時間かかりましたが、
気分的にも(内面も)片付いてスッキリし、なんだか落ち着きました。
◆ “有機物” には寿命がある
どれほど豪華な着物でも、大切にしていた記念の着物でも、
シルクですから、思わぬ “劣化” は出てきます。
処分しようとして初めて気づいた意外な劣化もあり、
改めて “有機物” とは むごたらしいものだなぁと思い知らされました。
それに、もう一つ、
“時代” としての寿命もあるのです。
母の時代だけでなく、私の若い頃の時代も、どんどん流れ去っていきます。
レトロと言えば聞こえは良いですけれどね。
今は、
イヴェント用として困らない程度の 基本的な数枚と、
街着としての “遊び着” だけを残してあります。
そうそう、時代と言えば、
近年の異様な暑さも、時代ですよね。
4月になれば浴衣を着たいほどの暑さですし、
11月になろうとしているのに、夏日の予報が出る始末で、
幾重にも布を巻きつける着物は不向きになってしまい、残念です。
◆ 卒業
“キモノ沼” にハマったことは、それはもちろん大変でしたけれども、
着付けの上達や素材等の学習も含めて、楽しいことがたくさんありました。
私は しょっちゅう、いろいろな事に夢中になるので、
身内の者は恐らく、
着物マイブームは終わったの?と言うでしょうが、
それも一つの 卒業 で、
今楽しんでいる事やこれから楽しむ事をまた深めていくつもりです。。
カテゴリ【衣裳部屋の美意識】
実は、珍しく本当に “衣裳部屋” の話題なのです。
久々なので、このカテゴリについて注釈をつけておくと、
私にとっては、『衣裳』をハンガーにかけて並べているのが衣裳部屋なのではなく、
私なりの『美的価値観』を、
選りすぐって大切に仕舞っておくのが、『私の衣裳部屋』という意味です。
なお、“衣装” ではなく “衣裳” と書いているのも私なりの小さななコダワリです。
では、その たとう紙の山、これでも一部なのですが……。

もしかしたら、既に、
何が起こったかをお察しの方もいらっしゃるでしょう。
お着物好きの女性たちでしたら、ね。
念のために書き添えておきますが、
たとう紙(たとうし・たとうがみ)とは、畳紙と書くこともありまして、
着物を収納する専用の包み紙です。
質の良いものの多くは和紙ですから、
防シワ・防チリ・防カビ の役目を果たしてくれて、
買い替える際には結構なお値段になります。
それを 山積みにしているのは、
そうです、ふざけた言い方をして自嘲してしまうと、
“着物大処分市” でございました。
誂えてもらった着物の他に、母から譲り受けた大量の着物があり、
丸洗いクリーニングだけでなく、
自分のサイズに合わせて“裄だし(ゆきだし)”もしましたから、
手間も費用も掛けてあったのです。
ですから、
ここに至るまでには、気分は堂々巡りでしたね。
:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:*:.:
そして、結果。
◆ 肩の荷が下りたようなスッキリ感
合計して和箪笥二棹(ふたさお)分の着物には、
もちろん、母の愛も込められていたのでしょうが、
私には、
もっと別の、
母から受け継いだ持病(同じ年齢で発症)の事情もありますのでね、
なんだか、諸々の 呪縛のようなものを感じていたのです。
そして、
あと数年で、もう一つの病気が出てくるシナリオができているのではないか、
そう思えてしまうから、呪縛のようなもの、と言ったのです。
処分するまでの和箪笥の整理には2日間かかり、
処分当日の たとう紙の片付けと清掃にも数時間かかりましたが、
気分的にも(内面も)片付いてスッキリし、なんだか落ち着きました。
◆ “有機物” には寿命がある
どれほど豪華な着物でも、大切にしていた記念の着物でも、
シルクですから、思わぬ “劣化” は出てきます。
処分しようとして初めて気づいた意外な劣化もあり、
改めて “有機物” とは むごたらしいものだなぁと思い知らされました。
それに、もう一つ、
“時代” としての寿命もあるのです。
母の時代だけでなく、私の若い頃の時代も、どんどん流れ去っていきます。
レトロと言えば聞こえは良いですけれどね。
今は、
イヴェント用として困らない程度の 基本的な数枚と、
街着としての “遊び着” だけを残してあります。
そうそう、時代と言えば、
近年の異様な暑さも、時代ですよね。
4月になれば浴衣を着たいほどの暑さですし、
11月になろうとしているのに、夏日の予報が出る始末で、
幾重にも布を巻きつける着物は不向きになってしまい、残念です。
◆ 卒業
“キモノ沼” にハマったことは、それはもちろん大変でしたけれども、
着付けの上達や素材等の学習も含めて、楽しいことがたくさんありました。
私は しょっちゅう、いろいろな事に夢中になるので、
身内の者は恐らく、
着物マイブームは終わったの?と言うでしょうが、
それも一つの 卒業 で、
今楽しんでいる事やこれから楽しむ事をまた深めていくつもりです。。
カテゴリ【衣裳部屋の美意識】

